今回の東北・関東大震災のこと。

 僕はそのとき、築地の印刷会社で出張校正をしていた。今までに経験したことの無い縦揺れで、作業机はガタガタ音を立てだしたので「ヤバい」と思い僕は直ぐに机の下に潜った。それが2回起こり、その都度印刷会社の従業員を含め、建物内部にいた人は全員外へ出た。

 それでも媒体は発行しなければならず、校正を17:30頃まで行った。校正中に、地下鉄がストップしたことを知り、愕然とした。あきらめて、近くの食堂で夕食を食べていると、そこで初めて津波の映像を目にした。陳腐な言葉でしか語れないのは記者の端くれとして情けないことだが、本当に恐ろしく、異常な光景に気分がおかしくなった。

 その後、僕の同居人が職場(浅草)から徒歩で来てくれて合流し、水天宮まで歩き、少しずつ復旧した地下鉄に乗り大手町から千代田線で北千住まで向かおうとした。しかし、千代田線は北千住駅の混雑の影響で西日暮里で停まってしまった。これが、確か12日00:30頃だったと思う。

 仕方なく、タクシーで越谷まで行こうと乗り場に向かうと、既に長蛇の列が。しかも全然進む気配がない。さらに寒い。我慢できず、西日暮里駅まで戻り夜を明かそうとした。僕らが乗ってきた車両には、みんな他の乗客が座って寝ていた。僕らは止まったエスカレーターに腰をかけ仮眠をとろうとするが、窮屈でなかなか眠れない。方々のタクシー会社やホテルなどに電話をかけてみてもなしのつぶて。

 そのとき、近隣の公共施設がどこか空いていないかと思い、携帯電話で調べて電話をかけると、「空いていますよ」との返事。うとうとしていた同居人を起こし、その施設へ歩いた。電話をかけたからか、施設の方が外で待っていてくれた。施設に入ると、スタッフの女性が温かいお茶と毛布をくれた。助かった。

 さらに、2階の大広間で靴を脱いで眠ることができた。本当に、本当にありがたい。翌日は、朝7時過ぎに施設を出て、日暮里駅まで歩き、常磐線北千住〜タクシーで帰ろうとしたが、常磐線は未だ動いておらず、タクシー乗り場は長蛇の列。そこで、日暮里・舎人ライナー見沼代親水公園駅まで都バスで行き、さらにそこから東武バス草加駅まで行った。そこからは、タクシーで帰った。

 結局、自宅に着いたのは12日(土)の正午過ぎだった。とにかく、ほっとした。安堵した。部屋の中はそれほど大きな被害は無かった。この2日間、今までテレビでしか見たことの無かった光景を目の当たりにして、胸が苦しくなった。今日になって、食料品などを買いに出たが、どこの店も2リットルのミネラルウォーターは完売。なんとかコンビニで500mlのそれを確保し、スーパーで食料品を買い込んだ。

 今回の経験は、一生忘れないだろう。また、西日暮里の施設でお世話になった人々には、必ずお礼をしたい。そして、微力ながらも僕にできることを考えて、やっていきたい。

 明日から東京電力計画停電を行う。仕方ない。これもある種「僕にできること」といえる。もちろん、自主的な行動も起こしていきたい。